白 江 庵 雑 記






 風に火を献げて野辺の



          椿折る


















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          雑 詠 日 記



          海 蝶 息 音



                     二〇一五年 -- 二〇二三年


  日記に雑詠を書きとめるようになってから二十七年が経ち、それを毎年拾い集めた小冊子

も九冊つづりが三巻になった。今年からまた新しい巻にするつもりで、名を「海蝶息音」と

改めた。海辺の蝶の生活は身についたが、これから衰えるにつれて蝶の神経回路がどれだけ

衰微するか分からない。せめて息災のこころいきが口をついて出るように願いをこめての巻

名である。漢字の「息」にはとどめるの意味もあるそうな。和語の「いき」は「生きる」の

語幹だろう。幸いに新たな日を迎えることができて呼吸するとき、何か意気ある音も口から

出るように心がけたいと思う。

 

 拙い雑詠よりも詩情あふれるH・ソローの散文に助言を求めれば、「比喩なしに語る唯一

の豊かな標準語である神羅万象のことば」に聴き入らなければならない。「心が受けとめた

印象」を身にしみこませて、「詩の種が自然に発芽するのをじっと待つ」ことだ。たとえ「そ

れを記述することば」が生まれないとしても、胸から諧調のある息が出てきますように!

 

                     2016年正月

                     一休宗純禅師の作とされている狂歌が身にしみる歳になったが、

                     口からもれ出る雑詠を刻みつけた一里塚が今年また一つ増えた。






                 

                                     2016年12月21日 冬至の朝



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               巻の六   二〇二〇年 ・・・・・・・・・・・・・・・・   133


               巻の五   二〇一九年 ・・・・・・・・・・・・・・・・   107


                  巻の四   二〇一八年 ・・・・・・・・・・・・・・・・   83


                  巻の三   二〇一七年 ・・・・・・・・・・・・・・・・   61


                  巻の二   二〇一六年 ・・・・・・・・・・・・・・・・   31


                  巻の一   二〇一五年 ・・・・・・・・・・・・・・・・   1





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         幻想賦「江村春宵」



        昼下がり、一杯の紅茶をすすって気分は和らぎ

        ひとしきり雨が降ったあとの空を、やがて陽が照らす

        音もなく聞こえる和音に導かれて丘への道へ向かえば

        しだいに海の広がるのが見えてきて、頂上に出ると

        満開の桜が、老木の枝という枝に処を得て歌っている

        花々は空にたなびく雲へとつながり

        詩人たちが称えた春の夕暮れの中にわたしはいる

 

        桜の下では藪椿が、ただ数輪の真っ赤な花冠で競っている

        ふと誘われて、咲き残る美しい一枝を採ろうと

        手をさし伸べたら、その時

        さあーっと風が吹いて、数えきれない花々が散ってきた

        襟首にも触れたと思った瞬間、足をすべらせ

        体はつやのある椿の枝に運ばれて投げ出され

        花々とわたしは宙を落ちて行った

        身がゆっくりと回転するように舞う須臾の間

        脳裏を巡ったのは何だったか

 

        気がつけば、花筏に乗って海の上を流れてゆく

        なんというやすらかな時間だろう

        そうやってどれだけ時が流れたのか

        いつしか岸辺に漂い着いた

        だれかが肩に手を添えて一つの家へと導く

        わたしは、齢も見分けのつかない人と座っていた

        桜花の漂着した郷に、秦人はいない

        謎のような言葉を吐いて、その老人は一服の桜茶を勧めた。

        わたしは影が薄いが、桜の花の漂着する浦を桃の花の咲く郷とすること

        ができる。この庵で種々の花を育て、歌人気取りで暮らし、また、ブド

        ウ畑の広がる丘の上の塔で、思索してもいるのだ。漂泊の詩人のように、

        あるいは茅屋に住まう雲水のように、世を見つめながら、人生の苦労を

        味わうこともできる……。

        ああ、あなたは幻想をつむいでいるのですね。

        まて、わたしがこの海辺の家でしていることを笑わないでくれ。ここに

        は、過去のあらゆる精神が訪れて声をかけてくれるのだ、その再現がた

        とえささやかなものだとしても、君の迷いの生活よりはずっとよいはず

        だ。そういう場所へ、君は来て仲間に入ろうとしている、僥倖だと思わ

        ないかね。ここにとどまれば、望みの未来を過ごすことができるだろう

        ………。

        でも、あなたの言葉にはたしかな意味があるのですか、あなたはまるで

        仙人のようにおぼろげだし、わたしはといえば、夢を見ているようだ。

        これは現実たりえますか。

        君は現代がどんな世かを知らない。一片の花びらのDNAから一本の桜

        を仕立てることのできる世だ、花筏に乗ってきた君から君自身が生まれ

        ないとでも思っているのかね。

        でも、クローン人間は元の人間とは違います。

        おお、なんというむごい言葉だ、……そのとおりだ……

        君の言葉は、わたしが、過去に為した数々のしくじりを背負って、明日

        からも生きなければならないことを宣告してくれた…………。

 

        老人が独り言をつぶやいている。

        ここにはご覧のように広い机があって、わきには花々が果てしなく散る

        黒い画面があるが、この舞台の向こうに何でも教えてくれる神がいるな

        どと、けっして考えてはいけない、意味を生み出すのは神経回路の巡る

        生きている人間の身心だ。ただ考えて何かをする方法しかない。そして、

        人間はだれでも人の人たる条件のすべてをそなえている、という言葉は

        依然として真理だ、なお何事かを為す力はそこから生まれる……。

 

        いつのまにかだれもいなくなった

        磯の香りがして、あたりを見渡すと

        対岸の山の端に十六日の月があり

        月の放つ光が、さざ波にきらめいて一筋の道をつくっている

        まだ幻想の中にいるのだろうか

        光の道の方へすうーっと足を踏み出そうとする

        そこへ、まだ冷たい宵の風が吹いて頬を撫でると

        耳に響いていた老人の謎の言葉が消えて

        わたしは正気に戻った

        しかし、ここはどこだろうか

 





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