「紹興尋秋、
些排列漢字」
其一
蓬莱游子自海来
中秋閉門越王殿
名月皎皎虫奏楽
喜楽千秋夢中践
其二
中秋月下座沈園
池前越劇生悲心
陸游唐婉詠心裏
月桂開花清香新
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内海に名月を釣る
修行の身
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見回れば、
林檎が一つ、
梨が一つ、
まだ枝にあり、
希望を保つ
日付けのある雑詠と随想
二〇〇六年 -- 二〇一四年
海辺の砂浜でなにかしら構造物をこしらえている蟹は、波が打ち寄せてそれを
くずしてもまた、そこから新たな形をつくり出そうとする。生き物とは、エントロ
ピー増大の法則に抗して、ささやかでもそのような営みを為す者である。そして、
個体はついには遺骸を残して消え果てるとしても、岸に打ち上げられた舟形の甲殻
や大きな肋骨は、DNAに記号で記されたイカや鯨の意志の象徴である。
人の身心もいつか働きを停止するときがやってきて、崩れ去る身は骨だけを残
して、生きているとき活動していた精神は形もなく消える。人の場合には、その
人を知っていた何人かの人の記憶にかすかにとどまり、消えた心のわずかな残滓
が言葉で残されることがあるが、それらは堅固なものではない。依然として、生きる
とはどういうことかという問いが残る。人間にできることは、そのあり方や意味を
問い続けて生きることである。
海岸道路とテトラポッドで占領された浜辺で暮らす蝶は、残して注意を引くほど
の甲殻や肋骨を持たない。日暮しの中で漏れ出るつぶやきを書きとめるのが、せい
いっぱいの形見である。人の言の葉という無形の記号の体系に則っているつもり
だけれど、それを読んでくれる人がいるかは分からない。いや、読み解くほどの
ものでもない。こう言いながら毎年つづった『海蝶夢話』は巻の九になった。前の
二つ『徐山猿声』と『秋水泡語』の例に倣って、九巻で区切りをつけるとしよう。
巻の一 二〇〇六年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
巻の三 二〇〇八年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 75
巻の四 二〇〇九年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 109
巻の五 二〇一〇年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 143
巻の六 二〇一一年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 181
巻の七 二〇一二年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 231
巻の八 二〇一三年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 267
巻の九 二〇一四年 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 301