扉
蝶は、いつもより
ずっと高く舞い上がり、
うす雲の中を飛んで
いた。はるか下にある
はずの海面はすでに
見えなくなっていた。
かなり長い飛行の間、
けっして夢の中にあっ
たのではない。あれや
これやの想念がつぎつ
ぎに浮かんでは消えて
いくのを追いながら、
うつつであることを自覚
していた。ふと下の方の
景色が変わっているこ
とに気づき注意して見
ると、陸地の上を飛ん
でいる。地平はかすん
だようによく見通せな
いけれども、大平原だ。
・・・・・・・・・・・
これまで暮らしたことも
ないような大陸に来た
ようだ。
やがて蝶はその地に
降り立った。蝶にも入国
の審査があって、到着
ロビーに出ると、おおぜ
いの人が出迎えてい
る。そのうちの小柄な
一人が、何かしら自分
に近しい感じのする名
前を書いた紙を示して
いる。海から来た蝶は
すぐに、自分が老年に
さしかかる一人の男と
してこの大陸に来た
――という夢の中に
あることを悟った。
中 国 滞 在 記
PDF版 『海蝶大陸へ渡る』
2018年5月 アマゾンと楽天ブックスに、電子書籍として出品しました。
第2回 潮アジア・太平洋ノンフィクション賞に応募して、候補作にノミネート
されたものの、紀行エッセイはノンフィクションとしては力が弱く、
受賞には至らなかった。
雑誌『潮』10月号に記載された四人の選考委員の評は次のとおりである。
・ 梯久美子 評
「著者の人柄に好感を持って読んだ。文章も端正だが、ノンフィクション
としては全編を貫く骨格が見えず、力が弱い。」
・ 後藤正治 評
「…瀋陽・蘭州・上海などに旅する紀行ノンフィクションである。
著者の柔軟で謙虚な姿勢には好感を抱きつつ、観光旅行記という
印象が色濃い。」
・ 楊逸 評
「楽しい雰囲気が十分に伝わるが、ただかかわった人たちはだれもが
平面的で、息遣いを感じられなかった。」
・ 吉岡忍 評
「人との交際よりも歴史風物の観察に徹した作品だ。筆者がこれを
手法として突き詰めていれば、ユニークな旅行記になった。
・・・ 候補作はいずれも惜しい作品だった。」
批判はどれも正しいとわたしも思う。
文章にいくらか取柄があることが認められ、このホームページの試みが
意味をもちそうなことを知って、励まされた。
2014年9月
目 次
序 ・・・・・ 6
瀋陽その一 ・・・・・ 10
降り立った地 張家界旅遊
瀋陽その二 ・・・・・ 23
東北育才外国語学校での日々 中国の今と昔 盛京=奉天
瀋陽その三 ・・・・・ 43
終業間近の日々 済南・泰山・曲阜への旅
瀋陽その四 ・・・・・ 57
別離 寄り道して大連へ
寄り道 ・・・・・ 68
蘭州その一 ・・・・・ 72
新しい出会い 黄河第一橋のある都市 西遊記
蘭州その二 ・・・・・ 91
北京再訪 蘭州滞在外国人一行 四川大地震、中国事情
蘭州その三 ・・・・・ 108
杭州旅遊 蝶の暮らし
蘭州その四 ・・・・・ 117
中原への旅 蘭州を去る
上海その一 ・・・・・ 134
海を渡る 上海交通大学での日々
上海その二 ・・・・・ 148
上海歴史探訪 己丑の革命六十周年 紹興に秋を尋ねる
上海その三 ・・・・・ 166
三峡を下る 短い滞在の終わり
上海その四 ・・・・・ 180
世界博覧会の頃 蝶の暮らし 変遷する歴史の中で
あとがき ・・・・・ 196
二〇〇七年から四年間毎年短い滞在をくりかえして、あわせて一年ほど中国に滞在する
機会を得た。自由を求めて大陸に渡ることになった状況ときっかけについては序に記した。
退職しての新しい生活の中で中国滞在はやはり新奇なことであった。日々の体験とそこか
ら思いめぐらすことが、消化不良のまま身の内に降り積もる。疲れて早く床に就くので
十分に時間もないまま、長い間の習慣から雑記帳だけは日々記録を続けていた。他方で、
中国滞在中に読書から離れてもいけないと考えて、二〇〇八年の蘭州で読んだ本の中に
T・E・ロレンスの『知恵の七柱』があった。アラビアのロレンスの精力的な活動が、
日本語訳で三巻になる長大な文章につづられている。詳細に出来事を語りながら、
臨場感あふれる風景の記述に加えて、生と死や人間存在についての深い考察まである。
その記憶力と筆力に舌を巻いたのに、それがかえってわたしの中に紀行文を書くという
考えを密かに植え付けたようだ。ところでわたしは、リービ英雄の中国紀行文に興味を
そそられていた。日本に帰って単行本になった『延安』を改めて読んで、作家の文章が
一つの独自の世界を創り出すことに感心するばかり。わたしに分不相応な考えは芽吹か
なかった。
ところが二〇〇九年に上海に出かけて、雑記帳は分量を増す。さらに二〇一〇年にも
また上海に滞在して、中国が新しい時代を画そうとする時期を目撃したのだと思い当たる。
再び、中国滞在記が書けないだろうかという考えが頭をもたげた。二〇〇九年暮れにわた
しは、人生に区切りをつけるつもりで故郷での生活を始めた。模索の中で、何か対象を
もって日々を暮らしていくのでなければ、江海に住まう志は本当に夢に終わるだろう、
と思い至る。中国滞在の経験は得難いもので、文章にするのはあながち無意味ではない
だろうと考えるようになった。それを日々の作業の一つにすることにした。わたしの
雑記帳は日録でもあるから、そこに書きなぐってあることを拾い集めて文章にするので
ある。二〇一一年夏、コンピュータ上に私家版ができた。
他方世界では、中国のGDPが日本のそれを追い抜き、また東日本大震災が起き、
さらに日中間に危険な対立が発生して、日本と中国が世界史の中で取り結ぶ関係が
新しい段階に入ったことがはっきりしてきた。そういう中にこのささやかな滞在記を
書物にできたらと夢見たが、機会もないままである。去年の秋になって、潮アジア・
太平洋ノンフィクション賞の原稿を募集していることを知り、文章を練り直して今年
三月にこの縮約版ができた。応募して最終選考に残ったが、受賞には至らなかった。
まったく捨てたものでもなさそうなので、ホームページに載せることにする。
二〇一四年八月 谷川 修